『幻獣大全1 モンスター』が出ていた

 幻獣大全1 モンスターが出てました。
 価格3500円……税別。まずは外見が圧倒的。750ページ近くあってハードカバー、一見したところ、「辞書」のようです(実際そうなんですが)。これが予定では7巻、さらに「古代日本編」「現代編」の計画もあるそうですから、全部そろえるとなるとかなり壮観になりそうな感じがします。

 さすがに大部の著書なので今全部を読んでしまうわけにはいきませんが、この本は「スタンダード(あるいは"目標")」になるべきもので、現時点でこれ以上の情報集成が望めないレベルにまで達している、値段と分厚さに恥じない非常に優れた資料になりうるものである、ということは一瞥しただけで分かります(褒めすぎだな。でも、同じようなものを素人なりに作ってる身からすると、やっぱこういう感想を第一に抱かざるを得ないです)。後書きには、各国語についてその専門家に意見を伺ったことや、多くの執筆担当者が自分の得意とする分野を書き上げたということ、そして、これはほのめかされている程度ですが、著者代表の建部伸明さんが古代から現代にかけての英語や北欧諸語、ウェールス語の読解・翻訳をこなせるほどの語学力があったとのこと、などが述べられています。この質と量で1年2巻の刊行が予定されているそうなのですが、日本語によってこの類の資料についての決定版が出たということは日本語を母語とする人間としては非常に嬉しいことです。
 この本が分厚いのは、「集められた情報は出来る限り掲載する」という編集方針があったかららしい。つまり、採算が取れないから情報を殺ぎ落として骨と皮だけになった安価な単行本にするよりも、あらゆる原典を参照することによって大部・高価な著書にすることを選んだということです。私たちのようなネット上のデジタル化されたテキストベースの資料なら百科事典でもCD-ROMに収まる程度のヴォリュームしかないのであまり気にしないのですが、これを紙媒体で実現しようとすると、なかなか資金に余裕がなきゃ出来ません。新紀元社って儲かってるのか?

 幻獣大全の特徴を挙げてみると、まず「創作物に力を注いでいる」ということがわかります。ほぼすべての項目に、関連した現代の創作ものについての言及があり、トールキンに至っては一章が裂かれているほど。『ハリーポッター』のような近年の著作も当然の如く網羅されています。でも、個人的に創作物には興味が99%ないんで、これがなければ2000円台になってたかもな……と思ったり。というわけで詳しく書かれ、ついでに物語の粗筋や要約も紹介されており、このおかげで分厚さを増してるともいえます。
 次に、原典・原語主義。これはまー、私の事典にも共通していることですが、幻獣大全はそれを、例えばゲルマン文学なら東海大学の協力を得たり、サプミ人(サミ人)のことならフィンランド大使館に連絡を取ったりして徹底し、さらに上にあるように著者たちの語学力を駆使して実践していることが、この著作をonly oneたらしめている特徴になっています。特に今回はほぼヨーロッパ(その中でも西欧と北欧)のみに絞られているため、原語に当たることがかなりの割合で可能だったそうです。ただ難を言えば、ギリシアの怪物ならギリシア文字による表記を、ロシアの精霊ならロシア文字による表記を併記してほしかったところ(でも、北欧語の特殊文字はキチンと表記してます)。
 んで、もう一つ。幻獣大全に紹介されているギリシア・ローマ、北欧神話については、実はこれまでのTruth in Fantasyシリーズでもある程度情報が手に入れられるレベルのものです。というか、古典神話は何百年も前からヨーロッパの知識人によってほぼ掘り尽くされているし、北欧神話も学者や建部さんを初めとした好事家(もちろんよい意味で!)による精力的な紹介が続けられているので、もうこれ以上はあまり目新しいところもないわけです。それに、著者たちもこの辺りについてはそれほど力を注いでいるようにも見えません。この本の特徴はむしろ逆で、神話よりも叙事詩!民話!民間伝承!(ワールドダウンタウン風に……)北欧、ドイツ、フランス、イタリア、イギリス諸島などにおける英雄伝説や民話集にある巨人たちや人間と似て非なる種族を紹介したところにあります。これは巻末の「書誌」を見れば分かることで、事典の類が最小限に押さえられているのに対し、「〜の民話」のような、口承文芸資料が非常に多い。それも学術的な原語の資料や対訳本から子供向けの海外童話翻訳絵本に至るまで、実に広い範囲の口承文芸資料を蒐集しています。これらの資料から例えばトロールやコーモランのようなよく知られた存在についての民話を大量に載せているのはもちろん、普通の民話集では単に「巨人」とか「鬼」とか訳されてしまうところを、上にあげた原語主義によって、「リーゼ(巨人)」「ウオルコ(巨人)」「トロルコナ(女トロール)」のように今まで日本の幻獣系の書物ではほとんど触れることのなかった単語を見出しにして紹介し、より個々の存在についてクローズアップして考えることができるようになっています。これは素晴らしいことです。また、英雄伝説についても、おそらく日本初紹介のものを含めて丹念に捜索されているようです。ここらへんは全く詳しくないのでこの本で勉強してみるかな……。

 と、色々褒めてみたわけですが、上記の通り、資料的に見てみると、何度も言うように非常に優れています。ただ、そこから一歩踏み込んだ記述には首をかしげることもいくつか。キュクロプスや三頭巨人などの関係についてデュメジルの三機能説を紹介しないのは明らかに片手落ちだし、物語ばかり紹介して、その物語そのものの機能について無関心なところもすこし残念(これは幻獣そのものの名前や性質による項目立てからくる限界ともいえますが。類似している民話への指摘はあるのに!)。また、イグニス・ファトゥウスの科学的な原因を探るところも「物理学や生物学の最先端にまで導かれてしまいました」とかいいつつ2ちゃんねるで色々不手際が批判されているパーシンガーを引用していたり、与那国の海底遺跡やビミニ・ロードを、科学的には全く無根拠であることがわかっているにもかかわらず確定した事実として記述していたり。文学的資料の原典を重視するのだから、科学的な説を引用するならそちらももとの論文に当たってほしいところ。まあ、これらは副次的なことですし、きちんとした科学的知識を持っている人が読めばわかることですから、まったく本書の性格を歪めるものではありません。

 長々と書いてしまいましたが、続刊が出たら確実に初日に買うことになるでしょうし、他の本を諦めてでも、この手のものが好きな方はこれを買う価値が十二分にあると考えます。総評: エーーーーークセレーーーーーーント!(ワールドダウンタウン風に)。


参考: 2ちゃんねる考古学板 与那国「遺跡」スレ過去ログ置き場 Hammerhead氏による体系的な遺跡派批判がある。
【実験】心霊現象肯定派vs否定派10【仮説】 パーシンガー批判についてはこのスレを参照。パーシンガー論文も読める。
マイクル・ムアコック〜一なる三スレッド〜 さっそくこの著書の間違いが指摘されている。

で、さっきAmazonに上の文章を少し削ったものをレビューとして送ったんですが、ちょっといい点ばかり書きすぎた気もしないでもない。
というのも、以前『世界の妖精/妖怪事典』のレビューを書いたとき、これは褒めすぎかな、と思って少し客観的なレビューを再投稿したんだけど、未だに反映されてないんですよね……。もう3ヶ月くらい前のこと。訂正が簡単に出来ないのはちょっと痛いな、Amazon。輸入盤規制反対を表明しているのは素晴らしいと思うけど。


で、今思ったんだけど、著者は1966年生まれ。今年38なわけです。で、あの名著『幻想世界の住人たち』が1988年……ってことは、それを書いたのは22歳ってことですか!?
すげえ。
22って大学でいうと4年。卒論代わりに書いたのでしょーか……?そんな若い年齢でこの水準の本を、1988年時点で執筆できたとは、建部さんの天才に改めて感服せざるを得ないです。てか、20歳で芥川賞もらった2人よりすごくないですか。