インテリジェンス、スピリット

むしろExtraterrestrial Intelligence「地球外知的生命」のインテリジェンスとアグリッパのインテリジェンスが関係ありそうな気がしてきた。
手元にルネサンス魔術についての本がさっぱりないから少しだけ読んでいて思ったこと。

話題になって半年以上経つ『千の風になって』はアニミズムなどではなくルネサンスの精気魔術の伝統に則っていると考えたほうがいいのではないか? こういう思想は、これが欧米起源であることからし守護天使のような概念が元ネタになっているだろうことはおおよそ察しがつく。でも、「風になって」のような表現はマウリシオ・フィチーノらの魔術思想における精気spiritus/spirit、世界に満ちている霊的な媒体というイメージが根底にあるように思えてならない。もちろん守護天使も世界に満ちているというイメージだってヨーロッパには存在した。ただそれと死者との関連は、今のところみつけてない。逆に日本には、そんなイメージは存在しない。墓にいなくて身近にくるような死者は率直に言うと鬼火か幽霊である。唯一お盆のときだけ死者は生者のもとへやってくるのだ。神様だって遍在するようにいうが、ちゃんと祠に鎮座してないと悪神か祟神でしかない。

ちなみに『千の風になって』のように死者が偏在するという表象は、じつは日本プロレタリア文学に先行例がある。

私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬られているのですもの。

葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』より。半分冗談半分本気です。