日本の幻獣展にいってきた

 明日が最終日ですから、ギリギリ。

 古代オリエント博物館よりは、人の入りがずっと多かったですね。そりゃま、土曜日だし、夏休み最後だし、人は多いわけです。

 それで、以前も書いたんですけど、英題とおぼしきUMA in JAPANのUMAは、よく知られていることですが和製英語です。英語ではUnknown AnimalsとかCryptidとか呼ばれ、未知動物学はCryptozoologyと表記されます。というわけで実際の展示やカタログに何らかの弁明があるのかな、と思ったけどありませんでした。「ムー」の別冊などが参考資料に入っているところを見ると、このことについては確実に湯本豪一さん(ミュージアム学芸員で、この企画の中心となった人です)も確実に知っているとは思うのですが、わざと無視したのでしょうか?

 さて、本体の「幻獣」についてなんですが、展示内容やら感想やらはlivedoorのblog検索で検索しただけでも130件以上引っかかるのでそちらを見てください。マジでここであえて私がくだらない説明するよりもそうしたほうがずっとよろしいかと思われます。というかこのblogを見てる人自体いないか。

 カタログのまえがきによりますと、我々日本人は妖怪と幽霊は区別するが、妖怪と幻獣は区別しないのではないか。妖怪は不死性がある、というか生死を超越した存在=現象であるのに対し、幻獣は死すべきもの、というか生物である。民俗学など妖怪を扱う学問では、柳田國男以来妖怪の姿かたちにこだわるよりも、その行動や特徴を通じて日本人の心性を明らかにしようとしてきた。そのため、ヴィジュアルイメージが先行する幻獣についての研究はまだほとんど行われていなかった。これから開拓すべき分野である、と。こんな感じの事を書いていた気がします。
 そういえば、行きのバス内で「民俗と民具」とかいう本を読んでいたのですが、ここでも民俗学で扱う民具というものはヴィジュアルイメージを軽視してきたとの指摘がなされてます。イメージが劣化の心配をせずに瞬時に世界の裏までネットによって伝達することができる現代だからこそ、このような研究側面はおのずと発達していく分野なのかな〜とかぼんやり思いました。

 そういえば、幻獣には「いるかもしれない」というややこしい問題が付きまといますね。私の事典では「いないものとする」とか書いてネッシーだろうがヒバゴンだろうがチュパカブラだろうが(そういえば、展示されていた雷獣のミイラは最近見つかったチュパカブラの死骸とほとんど同じだったよ)載せてますが、実際は「物証」やら「目撃証言」やらがあって、その実在を肯定的に考えて研究を進める上記CryptozoologistやUMA研究家、異端の(w)動物学者などと、どちらかというと否定的に考えてそれを目撃した人々、書いた人々、作った人々の文化的背景などを研究する民俗学者や美術史家などをどう折り合いをつけて総合的に、、、学際的に?研究を発展させていくか、案外難しいのではないですか? 今は民俗学者は一流大学に講座を持っていてUMA研究家はイオンド大学くらいにしか講座がないから(たぶん)学問の場でぶつかることは無いと思うけど、後者の場合、ツチノコヒバゴンの例からも分かる通り、民俗学者も味方につけなきゃならない「地元民」による強力なバックアップがあったり、「地元民」自体がそれだったりするわけで、……大変そう。