「妖怪」を英語でなんといえばいいのか

 Twitterで書いたことをまとめ。

 「世界の言葉で妖怪のことをなんというか」(仮題)というのを調べているときに必ず念頭に置いているのが、「英語で妖怪をなんというのか」という問題。実際に英語文献を読んでみると、spirit, demon, supernatural being (またはphenomena), monster, ghost, goblinあたりが当てられていることがわかる。それぞれ日本語の定訳だと精霊(精神)、悪魔、超自然的存在(超常現象)、怪物、幽霊、ゴブリン(小鬼)となる。どの訳語にも一長一短ある。「幽霊じゃないだろう柳田國男が妖怪と区別してるんだし」とか「悪魔はキリスト教の存在で云々」とか「超自然という概念はそもそも人間社会と分離した自然という概念が前提となっており云々」とか「猫娘は怪物じゃない」とか、まぁ、いろいろ。
 しかし個人的には、単語の古い意味まで包括していいのなら、ということはつまり日本語側でも「妖怪」の語義に「物の怪」や古代語の「オニ」まで含めるということだが、いちばん適しているのはghostかdemonだと思う。中期英語ではghostには天使も悪魔も三位一体の聖霊も(これは現代にもHoly Ghostとして残っている)、使い魔も妖精も、人間の霊魂も、そして死者の幽霊も含まれていた。ギリシア語に由来するdemonも、第一義としては聖書に出てくる悪魔、なのかもしれないが、ギリシア語にまでさかのぼると、今でいう超自然的な力を持った存在、という意味になる*1
 というより、他言語を翻訳するときに多少ある単語の持っていた「自然な」意味、というか用法が変化していくのは大いにありうることだ。むしろ不可欠なことだ。日本語以外の文献を読んでいて(95%は英語だけど)、とくに言語学民族誌資料をながめていると、ghostやドイツ語のGespenst、中国語の「鬼」が「死者の霊」だけでなく、普通なら「精霊」spiritと訳せるような存在に対しても当てられていることが非常に多いのである。demonという語にしても、悪魔や魔神、悪霊だけでなく、善悪に関係なく人間に由来する以外の妖怪あるいは神的存在にあてられていることが多い。ドイツ語だとTeufel(英語のdevil)が意外と多いのだが、これもドイツの民話や童話でTeufelが妖怪っぽいことをしていることを考えると、わからないでもない。
 少し話はずれるが、このような翻訳の事例では、翻訳先言語にあえて対応するものを求めるのではなくて、抽象的な翻訳者の脳内メタ言語のなかに「妖怪」概念が収まるようなカテゴリーを設定して、そこから元言語および翻訳先言語の語彙を引っ張ってくるというやり方が行われている、ということになるだろう。だから翻訳先の文章で「妖怪」を意味することになった語彙は、すでにそれ以前の意味とは異なっているのだし、それは私たちが読書経験の中で日々通過していることなのだ。そうやって一対一で了解される訳語というのは常にそのようなものである。とくに専門用語だと日常的な感覚で使われる意味とは乖離していることが多くなるのだが、そういうのの多くは、それが他言語からの翻訳語だからだ。しかし読む人は、専門というコンテクストのなかで読んでいるわけだから、そして時に単語が初出するときカッコ内に原語が入っていたりするとそれ以降、「ああ、この感情移入ってのはシンパシーとか同情とかじゃなくてEinfühlungのことだな」とか「疎外って仲間外れじゃなくてEntfremdungのことだな」とか無意識的に理解しながら読み進めるわけだ(ドイツ語ばっかでスミマセン)。ここでも結局は「読み手をどのように想定するか」という翻訳(文章)の基本問題に逢着する……。
 どちらにしても、だから「妖怪は翻訳できない、日本文化特有の概念、だからローマナイズしたYokaiでいいのだ」なんてのは個人的にはバカげた考え方である。上記のこともあるし、それに、通文化的な概念の正確な対応一致と*2(もちろん、そんなことを言っていたら翻訳は不可能だ)、翻訳の問題が混同されている。日本語で「妖怪」はどのように使われているのか、ということ自体を書きたいのならYokaiでいいのだろうが、訳語を探す時に「見つからない」「英語文化にそのようなものはない」というのは、日本語も英語も概念としての「妖怪」も何も知らないだけの話だ*3
 「神とGodは違う」というのもそうだけど、「妖怪はYokaiだ」というのは、日本の伝統的な民俗文化と英語圏の伝統的な民俗文化を比較するのではなく何故か英語圏のモダンなハイカルチャーを引き合いに出すところに大きな間違いがあると思う。そりゃモダンカルチャーに伝統的妖怪の入る隙はあまりないでしょうよ、フィクションかアートでもないかぎり。しかし現代文化としての(京極夏彦とか)「妖怪」は、漫画がそのままMangaになっているのと同じで、Yokaiでいいのかもしれないなあ。
 もう一つ。上記のような単語に対して、日本語への翻訳をするときに「妖怪」という語があまり使われないのは事実だろう。妖怪を人口に膾炙させた水木しげる自身は世界中の「妖怪」を書いているというのに、裏で柳田民俗学が糸を引いているのかどうかわからないが、「妖怪」というと日本土俗というイメージが存在する。しかし、特に民族誌や先住民系言語学に多いのだが、「妖怪」と訳すのが適切なことって、けっこうあると思う。
 手元にある『ランダムハウス英和大辞典 第二版』のghostの項目を見てみる。第一義に「死者の霊、亡霊、幽霊、怨霊、妖怪」とある。類語欄には「ghost姿を現す死者の霊……; specter恐ろしい姿の亡霊や妖怪……; spirit中立的な意味を持つ霊的存在; 死者の霊や悪霊から神までを含む」とある。

*1:しかし妖怪はいわゆる「超自然的存在」なのかと言われると微妙だ。「ハイ」と言えるならこれほど訳語選定が楽になる条件もないのだが、そうでもない。まぁこのことは「自然」概念にかかわることなので、ここではほのめかすだけにしておく。それとは別に、江戸時代の絵本に出てくるような妖怪・化け物を超自然的存在と言うのには抵抗があるだろう(この記事では、「妖怪」は民間伝承上のカテゴリーとしておく)。

*2:妖怪とdemonの違いより、たとえば家とhouseの違いのほうがずっと大きいと思う。

*3:漢字文化圏だった中国、韓国、ヴェトナムでは「妖怪」「요괴」「yêu quái」のままでいいとも思う。でもそれはまた別の話。