日蝕その他

語学学校の教科書に日食の連続写真があったので、シリア人の友達にこのことを聞いてみた。すると、「今でも日食のときはクジラが太陽を食べると信じている人たちがいる」という答えが返ってきた。少し前に西アジア一帯についての日食伝説を調べていてアラビアではドラゴンが食べるという話になっていたと思うのだけど、なんとクジラとは! そのときは授業が始まって詳しく聞けなかったけど、もう少しあれこれ聞いてみたいなあ。ちなみにアラビア占星術でいう、蝕を起こす天体ジャウザフルのことは知らないようだった。

ちなみに今のクラス編成は、モロッコ1人、シリア2人、セネガル1人、ギリシア2人、メキシコ1人、スペイン1人、ボスニアヘルツェゴヴィナからイギリスに亡命していた人が1人、……で、日本人が1人、という感じ。別のクラスだけどキプロスから来ているというギリシア人もいて、えーキプロスではトルコとギリシアは戦争状態じゃなかったの……とかびっくりしたりもした。ちなみに自慢ではないがこの前の試験ではトップだったので(……自慢です)、トルコ語は案外自分に合っているのかもしれない、と思い始めている。まぁもうそろそろ帰国しますけど。

またaibaraさんの「幻想世界神話辞典」の話になってしまうけど(だってあっちの掲示板に書き込めないんだもん!)、aibaraさんと「幻想の武器博物館」の水槌さんとの「情報の正しさ」についてのやりとりについてはいろいろ考えさせられるところがあった(幻想の武器博物館の掲示板参照)。私は、ときどきaibaraさんが本の中の情報の正確さを確かめるために出版社や寺社に電話取材する、というのをいつも新鮮味をもってながめていた。たとえば以前、私は、aibaraさんが新規作成した項目の固有名詞表記が自分の記憶していたものと違ったので本で確認し、そのことを掲示板に書き込んだことがあった。するとaibaraさんは、私が確認した本の日本語訳に従うと件の表記になる、と教えてくれた。私にとっては、これは単に翻訳時のケアレスミスか誤植であって、それは原書を確認すれば済むだけの話だったのだが、aibaraさんにとっては違っていて、日本語訳の出版社に連絡をして、編集者や訳者に問い合わせようとしたのだった。とはいえ、向こうの掲示板で水槌さんが言うように、私たちにとって神話伝説というのはまずもって言説であるからには、手元にあるテキストの参照先を忠実にたどっていくことが「正しさ」に近づく最短の道だと思う。
ちょっと難しく言うと、神話伝説における「正しさ」というのは、それの原質(substance)そのものに帰せられるのではなくて、それを語る表象(representation)の連鎖をどこで切断するか、という主観的判断に大きく左右される。この線で行くと、たとえばうちのウェブサイトでは、「語りが対象に対する信仰という原質を参照しているか」というところで連鎖を切断している。だからフィクションや原典をまともに参照していない資料などは自分的には「正しさ」の外に置かれる、ということになる(外にあるだけであって、それらが「誤り」というわけではない)。とはいえこの連鎖は秩序だったものではない。特に「原質」を参照しているか否かについての判断を下すのが難しい表象に出会ったとき(こういうのは神話伝説に慣れれば慣れるほど少なくなっていくけど)、そしてその表象を参照するほかの表象がどのような判断を下したか、また下さなかったかを考慮に入れなければならないとき、aibaraさん的な「著者」がヌーッと新たなレベルでの原質として立ち現われてくるのだ。面倒くさい。どちらにしても、ここで連鎖は行ったり来たりしているから、固定されたテキストと違って、切断点自体が行ったり来たりする。そのあたりでどうするか、がサイトごとのオリジナリティの発揮しどころ、でもある。

追記:「対象に対する信仰」つまり「それが存在すると信じられていること」は、昔から「幻想動物の事典」の掲載基準の大きな柱だった。しかし「信仰」というのは案外けっこう欧米的キリスト教的近代的な考え方で、たとえば東南アジアのアカ族は、「精霊は見たことないからいるかわからない」という。それでも彼らは精霊に対して働きかけ・働きかけられるかのように生活している。こういう事例は多い。私たちは何かがあるのか・ないのか、ノンフィクションかフィクションか、事実か虚構か、ホントかウソか、で考えてしまう傾向にあるが、アカ族の事例は個々人による存在の認識がどうであるか、ということが重要なのではなく、「働きかけ」「働きかけられ」という、人類学用語でいうところのエージェンシーが作用していることが重要だという考え方もある、ということを教えてくれる。さりとて「幻想動物の事典」の掲載基準を変えるわけではないけど(少なくとも「幻想動物の事典」を書いているときの私はバリバリの近代主義者です)。