キャロル・ローズの続き

キャロル・ローズの事典は前も書いたとおりマイナス面ばかり目立ちますが、個人的には、その出典を探る過程で何冊かの良書に出会えたということについては感謝しなければなりません。
そのうちのひとつが、一年位前にも紹介したWalter StephensのGiants in Those Days(ウォルター・スティーヴンズ『あのころ巨人がいた』)。ローズの『世界の怪物・神獣事典』を見ていて「ヴィテルボのアンニウス」という見慣れない人名が出てきて、その彼が捏造系譜を作り出し、そこに巨人を挿入した、ということが書かれている項目をいくつか発見した人もいるかと思います。そうした項目のリファレンスがこの『あのころ巨人がいた』です。
たとえばプリスカラクセPriscaraxe。解説には次のようにあります。
古代ギリシアの神話に由来するといわれる、怪物的な人間蛇の名称。「再発見された」古代ギリシア文書の断片によれば、プリスカラクセはアレクトルの母親である。この名称と特徴はイタリアの僧侶ヴィテルボのアンニウス(ジョヴァンニ・ナンニ、1432頃-1502)によって、彼が同時代のフランス貴族の高貴な祖先を正当化するために巨人の系譜学を再創作する過程で、アラクサプリスカとして統合された。このことは後に人文主義者にして詩人のルメール(1473-1524)によって補完され、名前はアラクサ・ユニオルになった。彼はこの祖先をメリュジーヌと比較した。

なんとも興味深いルネサンス時代の巨人伝承と言えなくもないですが、スティーヴンズはどのように書いているのでしょう。本書は分厚い学術書だから読むのも探すのも骨折りなので、一部のみ抽出してみます。
……と、その前に、このアンニウスという人は、マネトやベロッソスなどの作品を「再発見した」と主張して、実は自分が捏造した歴史書を発表したということを記しておきます。そしてルメール……ジャン・ルメール・ド・ベルジュがアンニウスをフランス語に紹介しました。そして現代の学者たちは、ルメールがアンニウスを忠実にフランス語に訳した、と論じているのですが実は……

>事実という点からすると、アンニウスがその偽作者にほどこした解釈は、ルメールのいうガリアの偉大さにはそぐわず、程遠いものだった。ルメールは体系的にアンニウスの目論見の基本原則を偽ったのである。ルメールのacteurに対する忠実さを称賛しあるいは非難した現代の学者たちは、実のところアンニウスをまったく読んだことがないか、あるいはルメールが引用したパッセージ(たいていの場合逐語的なのは事実だが、常に断片的で文脈を無視したものだった)しか読んでいないということを自分で暴露してしまっているのだ。Illustrations[アンニウスを紹介した本]の著者[ルメール]は、現代フランスの多くの歴史家よりもずっと綿密にアンニウスの『古代史』を読んでいた。……彼はアンニウスによる注釈のみならず、彼の偽作者による偽造された小文書のなかにも、フランス、あるいは「フランク」のヘゲモニーという夢想に危機をもたらすことを十分に理解したのである(p.150)。

要するに、アンニウスはイタリア人でしたから、イタリアやエトルリアが最初に文明を持った偉大な民族であることを主張するために上でいう『古代史』を偽作者に託して書いたわけです。それを読んだルメールは、フランスというか昔のガリアがイタリアよりも劣位にあることに気づき、そしてすぐ後のページに詳述されているのですが、アンニウスの記述の穴を突いて論理的にイタリアよりもガリア=フランスの優位性をIllustrationsにおいて創作して主張したのだ、と書かれています。

つまりアンニウスはフランスのために系譜学を書いたのではないし、ルメールはそれを補完したというより再創作したわけで、キャロル・ローズの書き方がまったく逆になっているということが明らかだということがわかります。これはほかの項目も同じ。

もっとひどいのは、そもそもプリスカラクセがアンニウスにもルメールにも(多分)登場していないということ。『あのころ巨人がいた』の330ページによると、バルテルミ・アノーの『アレクトル』Alectorという作品(リヨン、1560)に登場するもので、アレクトルという人物の母親がプリスカラクセ。これはアンニウスのいうアラクサプリスカAraxa Priscaで、アラクサ・ユニオルAraxa Juniorについて、ルメールメリュジーヌと比較したのだ、と書いています(図11では、ルメールの著書におけるアラクサ・ユニオルの下半身は蛇になっている)。ちなみにPrisca「古」、Junior「新」。

えーと、キャロル・ローズってもしかして英語も読めないのでしょうか……?
リファレンスにある書籍を眺めてみるかぎり『あのころ巨人がいた』は難易度が一番高いようなんですが、英語ネイティヴなら少なくとも私よりはずっとうまく読めるはず。

それに加え問題なのは邦訳者たちです。普通、真摯な翻訳といえば原書が参照している書籍にあたるくらい当然だと思うのですが、この人たちは何をしてるんでしょうか……。金もらって松村一男という大学教授の監修つけてこの有様はひどいとしか言いようがないです。