その土地にいるのか、遠くから見ているのか。

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私のブログのエントリに反応があったのでお返事します。

>博物誌類の「ローマ人が見たアジア」
>外人が見た日本
このあたり。私が取り上げたものとの違いを書いておく(共通点は書かないの)。
プリニウスにせよストラボンにせよアイリアノスにせよアリストテレスにせよ、自分たちの国の中で自分たちの言語を使い「オリエント」を書き上げた。それは中世ヨーロッパのマッパムンディ、古代中国の『山海経』、江戸期日本の『和漢三才図会』、中世インドの『マツヤ・プラーナ』、アラビアの『天地の驚異』などと同じイマジナリー・ワールドだった。それは使った資料にせよ世界観にせよ書いた場所にせよ、自文化内の伝統によって書き上げられたものなのだから、戦争の最前線における体験談とは少し違う。要するにオリエンタリズムを云々したいわけではない。そういうことは19世紀のクリスティアンラッセンやら20世紀のウィトカウアーやらサイード彌永信美やら先駆者が膨大にいる。
だから直接比較するといいのはプリニウスの資料となったクテシアス、メガステネス、『ガリア戦記』のカエサルマルコ・ポーロコロンブスアンドレ・テヴェなど直接現地に出かけた人々による資料のほうだろう。「外人が見た日本」は難しい。エンゲルベルト・ケンペルが日本の幻獣を著書に差し込んだのは有名だが、彼が信じていたわけではないだろう。
ただ、こういうのは「現地で奇妙な動物を見た」という、いくつか『現代民話考』に出てきた説話と一緒でも、現地で自文化的な幻想的存在を見た、たとえば幽霊だとか人魂だとかを見た、というのとは、これまた違う。そしてクテシアスからテヴェ、ケンペルに至るまで、そうした例は、たぶん滅多に存在しない。さらに、クテシアスからテヴェに至るまで(そして現代のUMAに至るまで)、大抵は現地の人からの伝聞だったり「アレは何」というコミュニケーションがあったりするが(だからその土地-文化-民族に根付いた要素が少しはあるわけだ)、水木しげるがであった「ヌリカベのようなもの」とかその類のものは、その仲間に入らない(逆にアトバラナは前者に入る)。
そしてもう一つ、これは先のエントリでも書いたが国境の問題がある。そもそも私がこうしたものを境界事例として取り上げたのは、大日本帝国-日本国という(学術の分野ではもう何十年も前から問題が提起されている)前提に対する、異議だった。日本の場合、普通は「国境-領土」+「国民-人口」で範囲をカバーするのだろう。こうしたら水木しげるのヌリカベは日本に入る。でも記述のように、なお境界事例は多い(たとえばミゴーは、ニューギニア人と日本人(これは更に信者と懐疑主義者と民俗学者と無関心な人々に分類できる)では対象へのイメージに差異がある)。それは何かの事例を一つだからある一つのカテゴリに放り込まなければならない、そのカテゴリはその他の事例に適用されるカテゴリと同一基準でなければならない、という要請がごく自然に出てくることから必然的に導き出される問題だった*1
ちょうど北海道かロシアかというページで、台湾や朝鮮半島などの妖怪は除かれているにもかかわらず戦後(実質)ロシア領となった樺太アイヌの妖怪が『妖怪事典』に紹介されているのに対する疑問が出ているのと同じことである。ちなみに佐藤清明が1935年に書いた『現行全国妖怪辞典』には、上述した台湾や朝鮮半島の妖怪も掲載されている。なぜなら当時、その2つの地域は日本だったからだ*2。では、1945年から1972年までの沖縄はアメリカ合衆国と書くべきか。ハワイはアメリカか。こうなるとダブルスタンダードどころかマルティプルスタンダードになってしまうがw、要するに国境による定義は強大なバックボーンがあるから不動のものstableと思われがちだが、実際は浮動なものfloatingでしかないということでした。

*1:こうなってしまうと、「日本」というカテゴリで攻める理由がよくわからなくなってしまう(私が本当に知りたかったのはそこだったりする)。なぜ「日本」なのか、と。でもここまで狂ったように理由を求める理由もまた、客観的なものではないだろう。

*2:こういうことを韓国人の友人に言ったら怒られた。台湾人の友人に言ったら微妙な顔をされた。