イシス探求、ニュートン

ユルギス・バルトルシャイティスの『イシス探求』を読んでいたらニュートンが出てきた。ニュートンは『年代学修正』とかいう本の中で聖書とギリシア神話とエジプト神話をすべてエウヘメリズム的に解釈して、さらに天球儀のずれから年代のずれを求め、そこからどういうわけか「オシリス=バッコス=セソストリス=シシャク」という公式に至ったらしい。バルトルシャイティスの興味はニュートンがエジプトのイシスとオシリスをどのように歴史化していたのかだからこれ以上の、全体についての詳細は書かれていない。ほんの出版年については多少問題があるが、とにかく本人が出版した英語版は1728年だ。盛大な批判が出たが(とはいっても、それは当時の通念だった年代学に反していたから)、たとえばイギリスの学者たちはニュートンを擁護したし、ヴォルテールニュートン陣営に加わったという。その後の展開はバルトルシャイティスに詳しい。

ところで偶然こんなニュースがあった。
「早ければ2060年に世界の終末」 ニュートンが予言していたらしい。

AP通信などによると、文書は1700年代初頭に書かれたもので、1936年にロンドンのオークションで落札されたものの一部
どうやらニュートンは古代のみならず未来についての年代記も書いていたらしい。しかも『年代学修正』よりも古そうだ。そこでふと、岡崎勝世『聖書vs.世界史』(講談社現代新書1321)が本棚にあったのを取り出してみた。するとニュートン年代記についての詳細が掲載されていた! もう6,7年くらい読んだこともなかったのだが、こんなときに役立つとは思わんかった。っていうかバルトルシャイティスの扱っていた17〜18世紀の古代エジプト史についての問題が、ここでは新書としてかなりわかりやすく解説されていた(バルトルシャイティスの『イシス探求』は意図的にわかりにくく書かれているから……)。
で、未来というかアレクサンドロス以降ニュートンの時代まではまた別の著作が扱っていて、それは1690年ごろだという。となるとニュートンの終末予言よりは10年前後古いということになる。
で、結論から言うと人類史の終末は2015年らしい(岡崎 p. 170)。
なんと。早ければ53年後どころか8年後に世界の終末がくるよ!
2060年説のほうはダニエル書を読み解いたと書かれているが、こちらのほうはヨハネの黙示録とダニエル書を併用している。10年の間にニュートンが手法を変えたのかどうかはよくわからないが、世界の終末が延びてくれたのはありがたい。
とはいえ岡崎さんが指摘しているように、これはニュートン的時空に反する考え方だ。始まりもなければ終わりもない、恒常的な「絶対的時間」に創造も終末もあったもんではない……はずなのである。でもニュートンは生涯一キリスト教徒だったし、研究者生活を通じて今で言うオカルトにものめりこんでいた。そのあたりの相克だの背反だのがこのアーリー・モダンな時代の面白いところではある。

話は変わるが『聖書vs.世界史』、おもしろい! バルトルシャイティスを読んだ後にこれを読むと、バルトルシャイティスのわけのわからない引用のパッチワークの意図が次々とクリアに読めてきた。これはつまり逆に言うと『vs.』のあとに『イシス探求』を読めば(一部の)バルトルシャイティスの術中にはまることなくイシスを探求できるということでもある。もし片方を入手されたら、もう片方も入手されることをおすすめします。


さて、私はここまで『イシス探求』がどんな本かぜんぜん書いてこなかった。
ごく大雑把に言うならば、イシス信仰が途絶えた後、イシスについての物語はどうやって伝えられていったのか、それをシャンポリオンヒエログリフを解読する前後の時代まで膨大な文献を探索しながら連ねていく。そんな感じである。そして、これがまた面白い。もちろんヨーロッパ内に限る話だが、彼らのよりどころはヘロドトスプルタルコス、ディオドロス、タキトゥスなどのギリシャ・ローマの著述家だった。そこにエウヘメリスムが加わる。つまり、イシスやオシリスは歴史上の人物だったという解釈だ。となるとエジプト史もからんでくる。マネトの登場である。しかしながらタキトゥスゲルマニアでイシスが崇拝されたと書いている。となると、イシスはゲルマニアにいたのかという問題が出てくる。それだけではない。アプレイウスが書いているとおり、イシスは古代ローマではすでにほぼ完璧超人になっていた。あらゆる女神がイシスの一側面でしかないとされた。問題は大航海時代に入り、インドや中国、そしてアステカ文明についての情報が入ってくるとさらにややこしくなってくる。どうやら中国の文字はヒエログリフに似ている。となると、ヒエログリフを発明したトト(ここではすでに歴史上の人物になってしまっている)は中国で漢字を発明した伏羲のことではないか。インドのガネーシャとかいう神は動物の頭だが、これはエジプトの偶像そのものだ。だからインドはエジプトだった。メキシコにはピラミッドがある。神々のことはテオトルというらしい。テオトルはトトに似ている。こんなところにもエジプト文明はきていたのだ。こんなことを、これはとくにアタナシウス・キルヒャーが真面目に述べていて、それを読む人も真面目に受け取っていた。少し前の時代にはチェーザレに毒殺されたヴィテルボのアンニウスが偽書を制作してイシスやオシリスを自分の思い描く古代史へと投入していた。あるいはトトはテウタテスでありチュートンでありトゥイストンであり……。もうなんというか、数えられないほど無数の歴史と信仰が作られては消えていき、でも執拗に後の時代にまで残っていったわけだ。それはやはりバルトルシャイティスのいう「アベラシオン」(収差)と「アナモルフォーズ」(歪曲)としか言いようのない現象だった。彼自身はまとめて「逸脱の遠近法」と呼んでいる。

それにしてもなぜエジプトなのか。単純に言うとギリシア・ローマよりも古いからである。ルネサンス以降のヨーロッパでもエジプトがギリシアに先行する文明だということぐらいヘロドトスがはっきり言っているのだからわかっていた。こうしたエジプト狂いはフランス革命の時代に頂点を迎える。時代はまさにシャンポリオン前夜だ。それと同時にインド・ヨーロッパ比較言語学が産声を上げる。ヨーロッパ文明の「アーリア起源」モデルが「エジプト起源」モデルの座を奪っていくのが19世紀のこと。そのあたりについては近年大論争を巻き起こしているマーティン・バナール『黒いアテナ』を読んでみてほしい。バナールの本は古代ギリシア古代エジプトおよび地中海諸文明に関心のある人は読んでおいて損はないと思う(ただ、仮説は強引なものも多いように感じる。また、西洋-ギリシャ中心主義を敵対視しすぎて、いまどき全然はやらない旧説[とくに人種と民族と言語と文化をごっちゃに考えるような手合い]をあえて相手にしているような感じがするのも、ちょっと無理がある)。


はあー。また話が横道にそれてしまった。本当は『イシス探求』の面白さを書こうとしただけなんだけど。それにしてもこういう「神話の変奏」を集中的に扱った本って、存外少ないように思われる。正統的な神話学じゃ扱わないからか。日本ではようやく日本の中世神話がポピュラーになってきたけど、まだまだ。中世ヨーロッパなんてなおさらである。中世イスラーム世界などまったく情報がない。たとえばイスラーム化されたエジプトでどのように古代の神々が解釈されたのか、膨大なギリシア文献が輸入されたアラビアではどうなっていたのか、興味深いんだけどな。

イシス探求 バルトルシャイティス著作集 (3)

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黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ (2〔上〕)

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黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ〈2〉考古学と文書にみる証拠〈下巻〉

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